
―藤原さんは千葉県出身。東京で15年働き2023年7月に地域おこし協力隊として那智勝浦町(なちかつうらちょう)に移住した。和歌山移住の経緯と藤原さんの暮らしを通して和歌山の魅力をお伝えする―
田園風景が広がる「太田の郷(おおたのさと)」
藤原さんが移住した和歌山県那智勝浦町は和歌山県南部の紀南地域、紀伊半島の南東端に位置し、日本一の落差を誇る「那智の滝」をはじめとする世界遺産や、源泉数県内一の温泉、生マグロの水揚げで有名な町である。
町内の南大居地区にある地域交流センター「太田の郷」は、廃校となった太田中学校を改修し、2016年に地域の活性化を図る交流拠点として生まれ変わった施設で、藤原さんの活動拠点である。海や山が多い那智勝浦町の中で、のどかな田園風景が広がる地域にある。「太田の郷」では、地域住民の交流の場としてイベントが催されるほか、地域の農産物や加工品、手芸品なども販売しており、町内だけではなく町外からも新鮮野菜や太田米(地域米)を求めて人が訪れている。
2024年5月には、味噌や醤油が製造できる「お味噌工房」を開設。この工房開設のプロジェクトの中心となったのが藤原さんだ。
新鮮・おいしい食べ物と豊かな自然に衝撃を受ける
千葉県生まれの藤原さんは、昨年まで東京の商社に勤めていた。仕事は激務で、終電に乗って帰宅することも多く、時には徹夜で作業を続けることもあったとのこと。「仕事自体はとても面白く、相手から感謝もされるのでとても楽しかった」と語る藤原さん。一方、経験を重ねる中で「やって当たり前」と思われることが徐々に増えていき、仕事に対してやりがいを失っていった。「私の居場所はここではない。このままでは人生がもったいない」と感じた藤原さんは、15年間勤めた会社を辞めた。
退職後、藤原さんは休養を兼ねて北海道から沖縄まで全国各地を巡り、その途中で和歌山県紀南地域を訪れた。「海の幸、山の幸、果物にお米。とにかく新鮮で、ご飯がとても美味しい。きれいな海、山、川がある。空は青く、夜空には満天の星。さらには温泉まである。手の届くところで全てが揃う、こんな素敵な場所があるなんて!と衝撃を受けました」と、その時の印象を振り返る。かねてより関東から離れた場所で住んでみたいと考えていたこともあり、東京の自宅に戻ると、移住に向けて行動を起こした。
相談から約1か月でスピード移住
インターネットで見つけた「わかやま移住定住支援センター」の東京窓口(東京都千代田区有楽町)を訪れた藤原さんは、改めて紀南エリアの生活環境を自分の目で見てみたいと相談し、「オーダーメイド現地案内」の支援制度を紹介される。この制度は、「わかやま移住定住支援センター」の移住支援員が市町村の移住担当者と一緒に、移住を検討している地域を案内してくれるもので、スーパー、学校、病院といった日常生活に欠かせない施設や空き家の紹介に加えて、先輩移住者など地域に暮らす人々の紹介を行う。2023年6月、藤原さんは、この支援制度を利用し那智勝浦町を含む3町を訪れた。
その中で那智勝浦町では、地域おこし協力隊の募集があり、移住後の住まいも用意されていた。「仕事と住まいがセットで用意されている点に惹かれた」と語る藤原さんは、協力隊としての活動拠点である「太田の郷」や住まい周辺の環境も好印象であったことから、この町への移住を決断する。その後、地域おこし協力隊としての採用も無事決まり、2023年7月には那智勝浦町での暮らしを開始。「わかやま移住定住支援センター」の相談窓口を訪れてから約1か月で、当地に居を構え、仕事も決まるというスピード移住だった。
移住の決め手になるのは人それぞれ異なるが、藤原さんは、移住を実現する手段として、地域おこし協力隊の制度を活用した。
地域おこし協力隊として廃校再生にチャレンジ!
那智勝浦町の地域おこし協力隊に着任した藤原さん。太田の郷で、地域商品の開発・製造・販売の拠点を作ることが主なミッションだ。そして、この拠点こそ「お味噌工房」である。着任時、廃校舎内は使われなくなった机や椅子でいっぱいだった。猛暑の8月、工房開設に向け藤原さんは室内の片付けからスタート。暑さに負けないよう、地元でとれた野菜たっぷりのお味噌汁に、太田米を食べて、しっかり体力を付けた。暑さに耐えられなくなった時は、お昼休みを利用して、近くを流れる清流・太田川に飛び込んだ。シュノーケリングを趣味とする藤原さんにとって、とても贅沢な休憩時間だったそう。
片付け・整理が終わった室内にステンレス製の冷蔵庫が搬入され、2台の発酵器も設置された。味噌などの発酵食品づくりに欠かせない「麹」。その麹づくりに欠かせない麹蓋(もろ蓋)は、地元の大工さんが那智勝浦産の杉を使い、試行錯誤を重ねて作ってくれた。
藤原さんは「ここで、お味噌などの地場産品をつくりたい。そして、お味噌づくり、米糀づくりの教室なども開きたい」と楽しそうに話す。
多忙だけど、通勤ストレスはゼロ
藤原さんの職場である「太田の郷」は、地域交流拠点としてたくさんの役割がある。各種教室の開催、地場産品の販売に加えて、町内イベントへの農産品の出展、移住希望者・就農希望者への滞在スペース・農機具の貸し出し、地野菜を使った弁当の製造・販売・配達や、住民が集う夏祭り、運動会、フリーマーケットの主催も行う。
周りののどかな田園風景とは対照的に、藤原さんの一日は忙しい。「イベント対応、お弁当の配達、味噌づくり・ジャムづくり。ここでは、私は何でも屋です」と平然と話す。「地域のおばあちゃん達から電球の取り換え、掛け軸の掛け替えを頼まれることもありますよ。小さなことでも、地域のみんなが頼ってくれます」と藤原さん。イベントが重なり、帰りが遅くなることもあるようだが、「東京にいた頃のように、満員電車のストレスはないですし、終電の時間を気にしなくていい」とどこ吹く風。「私は基本的に仕事が好きです。やり始めると、趣味に近い状態まで没頭してしまいます。それに、この地域は本当にみんないい人ばかり。ここの人達のために頑張りたいと思えるんです」と話す藤原さんの表情はとても穏やかで、充実感にあふれていた。
那智勝浦町での暮らし
藤原さんの現在の暮らしについて尋ねると、「私が住んでいる長井地区の高遠井(こうどおい)班は、私の住む家の大家さんと私を含めて9世帯ほどが暮らす場所で、80歳を超えたおじいちゃん・おばあちゃんがご近所さんです。皆さん優しい方ばかりで、作った野菜をお裾分けしてくれますし、道端で会えば、世間話をします」と楽しそうに話してくれた。
「春には、大家さんの車で、ご近所の皆さんとお花見に出かけました。『忍さん、お花見行こう』と誘ってくれたので」と話す藤原さん。大家さんお手製のお花見弁当を皆で美味しく食べたそうだ。
移住先で見つけた「“普通”の暮らし」をこれからも
「太田の郷」での仕事が日に日に忙しくなっていく中でも、地域のおじいちゃん・おばあちゃんとの交流を楽しんでいる藤原さん。そんな藤原さんに、これからのことを尋ねてみた。
「移住される方の中には、『私はこういうことがやりたくて、ここに来ました!』という方が多いのかもしれませんが、私はどちらかと言えば、“普通”に暮らしたくて、ここにいます。“普通”に仕事をして、“普通”にご近所さんと世間話をしたり、お花見をしたり、太田川に飛び込んだり。味噌をつくったり、お弁当を届けたり、みんなと夏祭りや運動会を楽しんだり。そんな“普通”の暮らしを、地域の皆さんと一緒に続けていけたらと思っています。だから地域の皆さんに、『あと30年は長生きして!』って、お願いしています(笑)」
東京勤務時代、心を込めて仕上げた仕事に「それが“普通”。それが当たり前だ」と言われているような気がして、虚しさを感じた藤原さん。その心を満たす何かが、ここの暮らしにはあるようだ。
移住希望者へのアドバイス
移住前の不安について藤原さんに尋ねると「私の場合、『移住』という言葉があてはまるのかピンと来ないんです。むしろ、『引っ越し』くらいの感覚ですよ。杉並区から荒川区に引っ越すくらいの感じ。不安はあまり感じませんでした。『嫌だ』『不安だ』と感じるかどうかは自分の心の持ち様。楽しもうと思えば、どこに行っても楽しめるものだと思います」と話す。
最後に、「移住先として和歌山が気になっているのだけど」と思っている方へのアドバイスをもらった。「『和歌山が気になっている。住んでみたい』と考える何かきっかけがあると思います。気になっている町があると思うので、とりあえず、実際にその町に行ってみることをお勧めします。頭の中で考えているものが現地で感じたものと同じなのか、違うのか。イメージ通りなら移住を決めたらいいし、違っていたらその町は止めたらいい。とりあえず、気になるなら行ってみましょう!」
―インタビューが終わると、藤原さんは明日開かれる夏祭りの出し物を見せてくれた。明日の天気予報は晴れ。会場となる校庭は、おじいちゃん、おばあちゃん、子供たちが集い、大きな賑わい見せることだろう ―
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