東京都生まれ、和歌山県白浜町育ち。静岡県の日本建築専門学校へ進学し、卒業後は田辺市の高垣工務店に入社。一時は退職して会社を離れるも再就職。2018年に同社の代表となり、建設事業のみならず、高齢者向けの半日型デイサービスや、児童の発達支援など幅広く行っている。
段ボールで家を作っているときだけは、ヒーローになれた
田辺市は、和歌山県の中南部に位置し県内最大の面積をもつ市。和歌山県第二の都市とも呼ばれるこのまちには、地域を担う個性豊かなプレイヤーたちが集まっている。高垣工務店の社長を務める石山登啓さんもその一人だ。
石山さんは高校二年生のときに進路に迷い、母親の勧めで建築の道へ。
「おかんに、大工好きだったよな、大工の学校があるから行けって言われて。自分の意思とかあんまりなかったです。でも幼稚園のときは工作するのがすごく好きだったんで、段ボールで家作ってたときは自分で言うのもなんですけど結構うまかったんですよ。僕、幼稚園に最後の一年しか通っていなくて落ちこぼれだったんですけど、段ボールで家作りしたときだけはヒーローになれたんです」。
長きに渡る契約社員から、社長へ
勧められた静岡県の専門学校で日本建築について学んだ後、幼馴染の親が棟梁をしていたという繋がりから高垣工務店に就職。当時、会社では「今後は営業をしない工務店は潰れてしまう」という社長の考えから、営業に力を入れようとしていた。そこで社長から声をかけられた石山さんは、入社して4年ほど経つころに営業を担当することに。
「27歳くらいのときに営業マンになりました。ずっと、将来は独立して工務店を持ちたいって言ってて、社長に『それだったら全部勉強しておけ』って言われたんで、営業から設計、現場監督、一通りやらせてもらいました」。
独立を視野に幅広い業務に携わる石山さん。ところが、30歳のときに一度会社を退職。その後3年間は父親の仕事の手伝いをするも、再び高垣工務店へ戻ってきた。
「自分から辞めるって言って出て行ったので、社長に土下座して戻ってきたんですけど。社員にしてくださいって言ったらダメだって言われたんですよ。自分の勝手で抜けて、自分の都合で戻ってきて。自分の都合で社員というのは甘いって。でも頑張ってたら認めてやるから頑張れなって。それで、頑張りますって言った3か月後に社長がくも膜下出血で倒れたんですよ。今も入院していて。それから6年くらい契約社員で勤めて、3年前に高垣の代表をさせていただくようになりました」。
地元で一番愛される会社になりたい
社長として高垣工務店をけん引する立場になった石山さんだったが、周囲からは社長が倒れた会社というネガティブな印象を持たれ、なかなか仕事の依頼が入らない状況に。そこで、石山さんは独自のさまざまな取り組み開始した。
「工務店を紹介してくれた方にお礼を持って行ったんですけど、受け取ってくれなかったんです。それで最終的に、高垣工務店で家を建ててくれたお客さんのお店で使える商品券を、紹介してくれた人に渡すことにしたんです。それを『ハッピーハッピーチケット』っていって。地域で使える商品券だから口コミも広がっていくんです」。
そのほかにも、高垣工務店に関わった人が参加できる「高垣まつり」や、高齢者向けの半日型デイサービス、児童の発達支援、地域課題解決のための無料の貸出スペース「シリコンバー」の運営など、地域の方々からの希望にも応えながら幅広い事業を展開。いつしか、加盟している工務店ネットワークでお客様紹介率が全国一位に。
工務店という業種にとらわれない、多岐に渡る取り組みを行う石山さん。その根底にはどのような目的や思いがあるのだろうか。
「地元で口コミができて、地元で一番愛される会社になりたいなと思うんですよ。ビジネス大きくして贅沢するとかもいろいろ考えたんですけど、全然そんなんではないな。それでは楽しくない。真面目なはなし、地元のヒーローになりたいねん。クラスの人気者と一緒やな。ここから一歩出たら誰も知らなくていい。でもここでは『あいつのお陰でこのまち楽しいな』って言われたいんですよ」。
高垣工務店の理念
高垣工務店に欠かせないものの一つに、社員が大切にする姿勢を示す「高垣理念」がある。“自尊心を育みあいます”から始まる理念は、採用の際の判断基準にも用いられる。
「自分にどっかし欠陥があると思ってるやつの方がいい。自分が完璧じゃないと知ってるやつの方がいいね。理念の最初に書いてある“自尊心”の定義は“ありのままの自己を尊重して受け入れること”なんです。自分はイケてると思うのも、自分はポンコツだと思うのも、ありのままの自己を評価して受け入れることができるやつはいいんですけど、自分でできてないと思いながら『俺できてるっすよ』って誤魔化しちゃだめなんですよ。
ポンコツなやつって仲間のために頑張ろうとすんねん。お互いに、手伝ってくれてありがとうって言いながらチームを作るから、その方が良い未来に向かうんですよ。うちに集まってくるのは本当にいいやつが多い。建物とかが全国区になれるとは思ってないけど、会社の理念とか仕組みとかは全国区になれると思う。それが和歌山の特色を出せるところかなと思ってる」。
独自の進化を遂げる田辺市と高垣工務店
田辺市に身を置いて約25年。石山さんの目に、このまちはどのように映っているのだろうか。
「人って気候とかに影響されると思うんです。この風土だからこの文化ができたと思っていて。田辺のまちは、新しく入ってくる人とか新しいことをする人を、受けいれる文化があると思うんですよ。それはもともと宿場町だったからであったり、あとは都会から影響を受けにくい場所にあるので、ガラパゴスのイグアナと同じで独自の進化を遂げていったと思うんです。だから個性的なプレイヤーとか商品も多い気がしてる。ここだからできている食べ物だとか、ルールとか、僕はとても魅力的だし面白いと思いますね」。
高垣工務店の会社としても、事業に関するさまざまな提案を社長不在のため止める人がおらず、失敗を繰り返しながらも独自の進化を遂げていったのだと石山さんは話す。
「遅れてるっていうのは、みんなが同じ目的に向かってたら遅れてるって言うけど、オリジナルやねんから逆に最先端やで。俺らに遅れてるっていうことはないねん。国とか、周りが決めた線路の上を走らんでいい。僕らが決めた独自のコースを走ったらいいねん。そこを走ってる限り俺ら先頭やん」。
移住の目的や理由は人それぞれだが、多くの方々にとって一つの大きな決断であることに変わりないのではないだろうか。これまで歩いてきたレールを外れ、また新たな道へと自ら歩き始めようとする方に、石山さんの言葉が後押しになることを願う。