福岡県生まれ、長野県育ち。自分に一番あった暮らしができる場所を探し、世界中を旅している途中で那智勝浦町のことを知る。一度同町を訪れた後、旅を継続して興味のあった南米へ。3年間の旅の末、南米ペルーから那智勝浦町に戻り、現在は集落支援員として活動中。
美味しいお寿司屋さんに惚れこんで
アフリカから南米まで世界中を旅して回っていた谷口さん。那智勝浦町に来ることになったきっかけは、タイで出会った同町出身の“旅の相棒”からの紹介だった。自然やアクティブなことが好きだということからこの町を勧められた。調理師免許を取得するほど食に関心の深い谷口さん。那智勝浦町に住む決め手となったのは、町のとあるお寿司屋さんだ。
「八雲鮨っていうお寿司屋さんに惚れ込んじゃって。魚も美味しい。シャリもうまい。もう何でも美味しいんです。それプラス温泉があって、世界遺産の町でもあるし、自然の景色が10分単位で変わっていく。なんだここ、と思って(笑)。最近気付いたんですけど、人もめちゃくちゃ良いんですよ」。
自動車で走れば、海、山、川と景色が次々に窓の外を流れていく。豊かな自然や、熊野という土地が持つエネルギーに身体が癒されるのを感じるという。谷口さんにとっての“自分に合う暮らしができる場所”暫定一位、那智勝浦町。谷口さんはこの町の何に居心地の良さを感じたのか。そもそも“自分に合う”とはどういうことなのだろう。
この土地で得たものは、人間らしく“生々しい”生き方
集落支援員としての仕事は、廃校になった中学校を活用した「交流センター 太田の郷」の運営。たとえば、長年この町で暮らしてきた方々の知識や知恵、地域文化などを若者に伝承するイベントやお祭りの企画、地元農家さんたちと協力して行う6次産業の開発など、幅広く活動している。また、「キッチンガーデン」と名付けた畑で農作物を栽培している谷口さん。実際に挑戦してみることで気づいたことが多くあるという。
「実際にやってみたら、めちゃくちゃ難しい。そういったことにチャレンジするのも田舎暮らしの楽しさですよね。自分でやってみて、難しさを知って、その地域の方々への尊敬心が増すっていうことがいっぱいあります」。
自分の手で作物を育て、自然の中で生活し、人間らしく“生々しい”生き方をしている地域の方々と関わるなかで、谷口さんは「自分の殻が剥けた」と話す。
「ここの地元の人たちは、壁が薄いというか心を開くのが早いというか、生き方が飾っていない感じがします。長野にいたときはマンション暮らしでしたし、こんなに自然と触れ合うこともなかったので、自分の性格を知ることができたり生きる楽しさを知ったのがこの町かな」。
協力隊として赴任して以降、モチベーションはずっとMAX100%の状態が続いているという。不安なことや落ち込むことがあったとしても、それもまた楽しいのだ。
こんなに豊かな環境を「何もない」と言えるのが何よりの贅沢
谷口さんが世界各国を旅して回り、那智勝浦町が最高だと感じている一方で、町で生まれ育った地元の方々にとっては食も自然も暮らしのなかに当たり前にあるもの。
「おばちゃんたちからは、『こんなとこ何もないよ。なんで来たん?』ってよく聞かれます。こんなに魅力あふれた食とか温泉とか人を、何もないで済ませられるのが一番の宝やなって思います。これ、3年間過ごして感じた『那智勝浦町とは?』のまとめかも(笑)」。
今後の目標について尋ねると、「将来の夢ですか?考えないなぁ。日々楽しく生きている。明日あるかわかんないしね。楽しく生きることは常に目標です」。
移住に関しては「自分の好きなところに住めばいいと思います。とにかく一度来て、地域を感じてほしい」と谷口さん。
情報ならスマホやパソコンでいくらでも入手することができるが、やはり食の美味しさや人の雰囲気、この土地が持つ力は実際に行ってみなければ分からない。しかし、いざ自分の好きな場所、自分に合う場所をと考えてみても、何を基準に判断すればいいのか迷うところではないだろうか。谷口さんは軽やかに一言、こう答えてくれた。
「自分が自分らしくいるなって思えたらいいんじゃないかな」。
旅を通して多様な価値観に触れ、ご自身のことを見つめ続けてきたであろう谷口さん。考えてみても分からない将来のことよりも、何かを実際に感じたときの自分の感覚や、生きている今を大切にしようとする人の言葉は、どれもリアルでシンプルだ。