熱川 興司(あつかわ こうじ)さん、真佐代(まさよ)さん

大阪府→紀の川市

―大阪で電気工事業を営んできた熱川興司さん。引退を期に、妻の真佐代さんとともに和歌山県への移住を決める。理想の住まいを求めて、 空き家だった物件を購入し、自分たちで建て替え工事を行うことを決意。そんな熱川夫妻に、移住を決めた経緯や住まいづくり、和歌山での暮らしについてお話を伺った―

空き家物件を理想の家に

まだ夏の暑さが残る2024年10月初旬。県北部にある紀の川(きのかわ)市に移住した熱川夫妻(興司さん・真佐代さん)を訪ねた。「紀州富士」と呼ばれる龍門山(りゅうもんざん)の麓、眼下には紀の川が流れ、大阪府との県境である和泉山脈を背に紀の川市街が広がっている。緑の多い長閑な風景は胸がすくように清々しく、涼風が心地よい。この景色を望む高台の一画に、熱川さん夫婦の新居がある。

新居周辺からの眺め

訪問すると、庭先にはユンボが置かれ、壁には一輪車、脚立が立て掛けられていた。また、その壁は塗装前の状態で、さながら、住宅の建設現場のようだ。興司さんによると、半年前に空き家物件を購入し、現在は建て替えの真っ最中。「作業は全て自分でやっています。内部もやり替えているので、まだ住める状態ではなく、今は大阪の家から週に4日、車で通って作業しています」。長年、電気工事に携わってきた興司さんだが、「蛇口を取り付けたり、トイレ・お風呂の敷設、床張りなどの経験は全くなく、YouTubeを参考に見よう見まねでやっています。大工さんが1日で終わることを、1週間もかかっていますね」と苦笑する。

建て替え中の新居

苦労も多いが、全ての作業を自身でするからこその充実感もある。さらに、自分好みの作り込みも可能だ。興司さんは、眺望の良い北側に大きな窓を設けるとともに、片隅に「小窓」も取り付けた。部屋が完成すれば、その前にイスを置き、風景を見ながらのコーヒータイムを楽しみにしている。「年内には、とりあえず寝泊まりができるようにしたいです。最終的な完成は2年後ですね」と楽しそうに今後の計画を話してくれた。

お気に入りの「小窓」

紀の川市に移住を決めたきっかけ

興司さんは大阪市生まれ。幼少期に松原市に引っ越したあと、長らく電気工事業を営んできた。40歳の頃から、仕事の落ち着く冬になると、真佐代さんとともに新潟や長野へスキーによく出かけたそうだ。その当時から地方での暮らしに興味はあったが、なかなか踏み切れずにいた。そんな興司さんに、紀の川市に移住しようと思ったきっかけを尋ねると、「趣味の写真撮影で、妻と紀の川市を訪れた際、この近くを偶然通りかかった。雰囲気や高台から望む景色がとても良くて、『この辺りで住むのもいいなあ』と感じた」そうだ。

写真撮影を趣味にする興司さんの自慢の1枚
(お庭からの紀の川市の雪景色)

興司さんはパラグライディングも趣味としている。テイクオフ(離陸)基地のある龍門山が近くにあったことも、この場所を移住先に選んだ理由の一つ。「関西でも、神鍋(兵庫県)や三田(兵庫県)にテイクオフ場はありますが、龍門山のように年中飛べる場所はあまりない」。
空を飛ぶことの醍醐味を聞くと、「上空600mまで上がれば関西国際空港が見えます。天気が良ければ明石海峡大橋も見ることができますよ。さらに1,000mまで上昇すると、さすがに怖さを感じますね。思わず(緊急時の)パラシュートがどこにあるか、手探りで確認してしまうほどです」と話してくれた。

紀の川市にはパラグライディングの離陸基地がある

空き家バンクで住まい探し

紀の川市への移住を考えるようになった興司さんは、空き家バンクを利用して、住まい探しを始める。紀の川市の空き家バンクの担当者に相談すると、移住に関する支援制度や地域の暮らしに関する情報を親切・丁寧に教えてくれた。そして、「いいな」と思う物件を見つけると実際にその場所を訪ねてみることにした。「空き家バンクのサイトだけだと、家からの景色、眺めがわからないので、実際に訪問しました。すると、景色が本当に素晴らしくて、みかん畑越しに見る紀の川や街の様子がとても綺麗でした。ほぼ即決で、この物件の購入を決めました」と興司さんは当時を振り返る。

住まい探しについて話す興司さん・真佐代さん

理想の家づくりへ苦労の連続

空き家物件を購入して興司さんが最初に悩んだことは、リフォームするか建て替えるかの選択だった。「このあたりの人たちは、綺麗な景色に慣れてしまっているせいか、日当たりを重視した南向きの間取りにしていることが多いです。購入した家も例外ではなく、景色を楽しめる北側に窓はありませんでした。とても悩みましたが、リフォームではなく、建て直すことに決めました」。
最初に、前の住人が残した荷物の処分を始めた興司さん。「軽トラックに荷物を積み、近くの処理施設まで20回以上は運んだ」そうだ。「建て替え作業は全て自分たちでやっているので、その作業は苦労の連続でした。特に夏場は、お昼前後の気温があまりにも暑く、作業ができないほどでした。作業自体も難しい工程が多く、中でもユニットバスの組み立てには難渋しました。特殊工具が必要ですし、組み立てマニュアルが400ページもあります。パーツを取り付けては外し、付けては外すの繰り返し。その時ばかりは、自分で建て替えようとしたことを後悔しましたね」と興司さんは笑う。

興司さんが組み上げた渾身のユニットバス

和歌山の暮らしでの楽しみ

「建て替え作業は大変ですが、その作業をしていると、ご近所の方が毎日のように立ち寄ってくれるんです。本当に良い方ばかりで、感謝しています。『移住者』と聞けば、どうしても身構えたり、遠くから様子をうかがったりしてしまうものですが、この地域の方は最初からとても気さくで、『どこから来たん?』とか『何してるん?』と、温かく話しかけてくれます。お付き合いしやすい方ばかりで、本当に有難いです」と興司さんは話す。
今後の暮らしについては、「もちろん、写真撮影やパラグライディングを楽しみたいと思っています。和歌山には良い撮影スポットがたくさんあるので、高野山にも行ってみたいです」と興司さん。そして、真佐代さんは「家の前の家庭菜園で、孫が大好きなブロッコリーを育てています。将来的にはみかんも作ってみたいです。孫や友達が遊びに来てくれたら、一緒に収獲を楽しみたいです」と答えてくれた。

真佐代さんの家庭菜園

― 取材中、「ご近所の方がいい人ばかりで」と感謝しきりだった興司さんと真佐代さん。建て替え工事が終わり、拠点を紀の川市に移した後は、「畑の草刈りなど、お役にたてることがあればがんばりたい」と意気込む。地域の方々は、そんな熱川さんご夫妻を温かく迎えられていた ―

取材日:2024年10月5日