築山 和俊(つきやま かずとし)さん

滋賀県→有田川町

愛知県出身。滋賀県の美術系大学を卒業し、同県のタイヤ屋さんに就職。その後は一時大阪に移り、パートナーの実家がある和歌山県有田川町へ移住した。現在は町内にある株式会社フジメックの工場に勤務。地域の祭りやイベントに多く関わるほか、趣味のDIYでキャンプ用品などの製作を楽しむ。

取り越し苦労

大学時代を過ごした滋賀県で就職し、結婚。長男が2歳になったころ、家を建てる資金を貯めるために、一度夫婦どちらかの実家に世話になろうと決めた。相談の末、奥さんの実家のある有田川町に移住したのが2004年、すでに16年になる。

移住するにあたり、この地域に馴染むことができるかどうか不安だったという築山さん。けれど、それはまったくの取り越し苦労だったと当時を振り返る。

「もう、本当にいい人たちばっかりで。最初はね、僕もちょっと壁を作ってた部分があったと思うんですよ。不安で。ただもう、こっちから飛び込んでいったら向こうの人たちはウェルカムなんですよね。

このあたりの小学校は保護者がものすごく学校に参加するんですよ。運動会とか学校行事は、もちろん先生たちが中心でやるんですけど、保護者も設営や運営を手伝うし、競技にも参加するし。地域一体になってやっていく場所なんです」。

築山さんのお宅のガレージ。多少の物音は気にせずDIYを楽しめるのも、田舎ならではの良さ。

学校の行事や、年に何度か開催される保護者と教師との親睦会などに参加するうちに、地域の人たちとの仲はどんどん深まっていった。現在は地域の祭りや行事にも参加。新しく建てた家でクリスマスパーティを開いたり、日本酒の会に参加するなど、すっかり地域に溶け込んでいる。

子供につないでもらった縁を大切に

移住してしばらくしたころ、当時の教頭先生に言われたある言葉が築山さんのなかに残っている。

「僕たち親の、人と人のつながりっていうのは、子供が作ってくれた縁だ。子供がつないでくれた縁をわれわれは大事にしていこう……って教頭先生が言ったんですけど、自分で作る縁じゃなくて、自分じゃない誰かが自分の縁を作ってくれる。そういう感覚がいいなあと思いました」。

築山さんには、「子供がつないでくれる縁」を痛いほど感じた経験がある。5年ほど前、築山さんは3人のお子さんのうち一人を病気で亡くした。そのとき、地域の人たちや保護者仲間、一緒にお祭りを開催している仲間たちに大きく支えられたという。

「泣きながら黙ってハグしてくれて、ものすごく救われてね。そういう人ばっかりなんですよ。だから好きなんですよね、この地域が。そういうのも子供がつないでくれた縁じゃないですけど、あの子が縁をより深く太くしてくれたのかなあって思って。いっぱい受けた恩を、僕は一生かけて返していきたいと思っています」。

目に涙を浮かべながら話す築山さんの声には、地域の人たちへの言葉にならないほどの感謝がこもっていた。

有田川町一帯の行事である秋祭りでは、例年地域の男性たちが太鼓を叩くのが伝統となっている。

土地を継いでいくこと

生まれてからずっと、徒歩圏内で生活用品がそろう地域に住み続けてきた築山さんにとって、車がないと生活できない有田川町での暮らしに最初は少し不便さを感じた。しかし、それも慣れると問題ないという。いまではたまに都会に行くたびに、地域の空気のきれいさを実感している。「田舎でしか暮らしていけない身体になりました」と築山さんは笑う。

現在は工場での勤務を続けているが、ゆくゆくは奥さんの実家の家業であるみかん農家を継ぎたいと考えている。みかん農家はなりたくてなれるものではない。代々受け継がれてきた土地があって初めて成り立つものであるため、その条件を捨ててしまうのはもったいない、と。

そう言いつつも、築山さんは農家を継ぐことの難しさに直面している。町には新規就農への補助はあっても、農園を継ぐためには他にも多くの経費がかかる。いずれ継ぐことは決めているが、大学生になる子供をもつ築山さんにとってはまだ現実的でなく、タイミングを計っている最中だという。

「他県から移住してみかん農家をしたいっていう人は、農業に関わる補助や制度を調べてから来たほうがいいでしょうね。僕としては同じような若い世代のみかん農家がいっぱい増えてくれたら、一緒になって頑張っていこうよって思うんですけどね」。

飛び込むことで受け入れられる

移住したてのころは、築山さん自身にも、受け入れる側の地域の人たちにも少し壁があった。お互いの距離が縮まり、受け入れてもらえたきっかけは何だったのか。築山さんは地域の人からこう言われたという。

「もし僕が他所から来たっていう雰囲気を出していたら、受け入れてくれなかったっていうのはよく言われますね。どんどん地域に入ってきてくれたから、うちらも受け入れることができるんだよ、って」。

また、取材当日に話を聞かせてくれた地元住民の中岡さんはこう話す。

「若い人が地域にはあんまりおらんので、消防団やいろんな祭りがあると(地域にいる若者に)声をかける。それで一緒に飲んだり食べたりしてるうちに、気がついたらずっと昔からここに居てたんかな、みたいな感じになってるんです」。

地元出身の中岡さん。取材当日、近くの吉田区民館で太鼓の練習をしていたところ快く取材に応じてくれた。

見ず知らずの相手に不安を覚えるのは、移住者も受け入れる側の人も同じこと。「地域の人たちは、移住してきた人に関心があるんだと思うんです。だから新しく移住した人は、『向こうは待っているんだ』というくらいの気持ちで飛び込んでいけば、すぐに受け入れてもらえるんちゃうかな」。

地元にしっかりと根を下ろして暮らす築山さんからのメッセージは、どれも実感に溢れている。

 

株式会社フジメック