
―55歳を人生の転機にしたい。岐阜県から有田市に移住し、みかん農家となった上林さん。地縁も、園地も、農業経験も無い元会社員が、和歌山に移住し、農業を学び、みかん農家として独り立ちするまでのお話を伺った―
半農半”公務員”のダブルワーク
みかんの収穫が最盛期を迎える12月。早朝、出勤前の限られた時間に、みかんの木が600本ほど植えられた園地で少しでも収穫作業を進めようと、上林さんは斜面を登っていく。1時間ほどの作業で収穫できるみかんの数に限りはあるものの、収穫作業は少しずつ進む。作業後、その充実感もほどほどに、上林さんは次の職場へと車を急がせる。
みかん農家の上林さんだが、月の半分は労働基準監督署で労働相談員として働いている。相談員の仕事は、会社員として人事部門を長く歩んできた経験が活かされるが、農業はまだ始めて1年が経過したばかり。初めて迎えた12月の収穫繁忙期。夜、帰宅した後、朝に収穫したみかんの選果で忙しく、寝る間を惜しんでの作業が続く。「3年前にみかん農家になることを目標に、岐阜市から和歌山に移住した時には想像できなかったほど忙しいですが、とても充実しています」と話す、上林さんの表情は晴れやかだ。
父からの教え「自分で何かやってみなさい」
上林さんが暮らす有田市は、和歌山県の北西部に位置し、温暖な気候と豊かな自然に恵まれた地域だ。特に有田みかんの産地として知られ、官民協働でみかん農家の育成に力を入れ、手厚い就農支援を用意している。また、有田市は蚊取り線香発祥の地であり、日本一の漁獲量を誇る「太刀魚(たちうお)」の水揚げ地でもある。こうした地場産業が根付いた歴史ある街に、上林さんは移住した。
「勤めていた会社では55歳で役職定年を迎えることになっていました。ちょうどその年、次男が大学を卒業するタイミングでもありました。私にとって55歳は人生の転機だと以前から考えていて、新たな土地で何か事業を始めたいと思っていたんです」と上林さん。「子どもの頃、父から『会社勤めだけでなく、いずれは自分で何かをやってみなさい』と言われたことが、ずっと心の片隅に残っていました」「やりたいことをやる。自らの責任で全てを決める。会社員では味わえない、この『自由』へのあこがれが私の中にありました」
そして、上林さんは新天地探しを始める。
和歌山でみかん農家になりたい
岐阜県で育った上林さんは、海水浴やスキューバダイビングを楽しむため、20代の頃から何度も和歌山を訪れるうち、風景や雰囲気に親しみを感じ愛着を覚えるようになっていた。和歌山から岐阜へ戻る途中、よく立ち寄っていたみかん販売店では、店主からみかんの奥深さを教わった。品種ごとに旬や味が異なること、さらに同じ品種でも農家の育て方次第で味が変わることを知り、みかん作りに関心を持った。根っからのアウトドア派である上林さんは、事務系の仕事をしていたものの、太陽の下で働くことにも魅力を感じ、「和歌山でみかん農家になりたい」と考え始めた。
みかん農家を目指し、情報収集に着手。有田市で「就農体験」ができることを知り、上林さんは真夏の摘果作業に挑戦した。「果実量の調整や樹勢を維持するため、この作業では、まだ小さく青いみかんの実を間引いていきます。炎天下で、汗だくになり、くたくたになりましたが、心の底から『楽しい』と感じている自分に気づきました」その年の冬にも、同じ農家のもとで就農体験をした上林さん。「その農家の方には、今でも気にかけていただいており、農業のことに限らず、さまざまなことを教わっています。この方のように、和歌山県や有田市では、移住希望者・就農希望者に対して、行政担当者や農家がとても親身になってサポートしてくれます。この熱意や親切さこそ、私が有田市を移住先に決めた理由でした」
その後、和歌山県農林大学校就農支援センターの社会人課程に入学し、9か月間、講義や実習を通じて農業について学んだ。
農地・住まい探しより難しい「倉庫探し」
就農支援センターでの職業訓練の修了時期が近づく中で、上林さんは「園地」探しを始めた。ここでも有田市のサポートは手厚く、所有者が貸してくれそうな園地を紹介してくれることになった。住む場所についても、賃貸アパートなどを探せば、何とかなるだろうと上林さんは考えていた。
問題は「倉庫」だった。みかんを出荷する際には、大きさごとに選果しなければならず、選果設備を備えた「倉庫」が必要になるのだが、なかなか空きがない。見つけるまでには相当時間がかかりそうだと覚悟していた上林さんに、みかん農家を目指すきっかけとなった就農体験で、お世話になった農家の方から朗報が届く。「有田市内のみかん農家が和歌山を離れるため、農機具を含めて引き継がないか?」
上林さんはすぐにその園地・住宅・倉庫を見学し、引き継ぐことを即答した。
園地等の引き継ぎは2024年1月の予定と聞かされた上林さん。職業訓練は23年2月に修了予定であったため、就農まで約1年間の空白期間ができた。想定外ではあったが、この期間を乗り切るために見つけた仕事が、労働相談員の職だった。「1年間だけのつもりで働き始めたのですが、幸いなことに、『できれば続けて欲しい』と言っていただきました。その結果、園地を引き継いでからは、二足の草鞋を履くこととなり、『農家1年生』にして『ダブルワーカー』という超多忙な1年に突入することになりました」
農業1年目の通信簿
住まい、園地、倉庫を引き継いだ上林さんは、有田市に居を移した。そして、すり鉢状の山の急斜面に約600本のみかんの木が段々に植わった園地で、「農業1年目」をスタートさせた。農業研修は修了したものの、地縁も、血縁もない土地での新規就農に、「知らず知らずのうちに、農家仲間に失礼なことをしていないかと、不安に感じる日々でした」と上林さんは振り返る。ただ、農協の組合員になったことで、頻繁に開かれる農作業説明会に参加できるようになり、顔なじみも増えていった。
猛暑による”みかんの生育不良”がニュースで報じられる中で、「本当に農業でやっていけるだろうか」とプレッシャーを感じることもあった。ただ、幸いなことに労働相談員としての収入がその不安を抑えてくれた。「『空白の1年間』が結果的に私を助けてくれました。仮に、農業一本で始めていたら、収入への不安などから、精神的に余裕をなくしていたかもしれません。最初から農業だけでやっていくことは大変だと痛感しました」
迎えた12月、初めての収穫期。農協の共同選果場への出荷とは別に、上林さんは友人・知人にみかんを送った。受け取ってくれた方から、たくさんのお礼の電話や手紙、メッセージを受けるたびに、嬉しさ、やりがいを感じた。
農業の辛苦、不安定さ、リスクの大きさとともに、そのやりがい、喜びを実感した上林さんに、今後の目標を尋ねると、「みかんを買ってくれた方から、たくさんの好意的な反応をいただきました。地域においても、新参者の私を優しく支えてくださる多くの方に出会うことができました。これらの『ご縁』を大切にしながら、皆さんからの期待を裏切ることのない『美味しい』みかんを作っていきたいです」と優しい笑顔で答えてくれた。
移住・新規就農を検討されている方へ
最後に、移住先での就農を検討されている方に向けてアドバイスをお願いした。「自身が何に対して本気になれるのか。自身にとって何がモチベーションになるのか。まずは、このことを明確にしておいた方が良いです。『自分は何がしたいのか』。そのビジョン(将来像)を明らかにした上で、それを実現する手段として『移住』や『就農』が必要であるなら、後は行動するだけです。動き出せば、自ずと人との『ご縁』が生まれ、その『ご縁』を一つ一つ大切にしていけば、良い方向に進んでいくことができます」
― さまざまな人との「ご縁」を大切にしながら、一歩ずつ着実に就農の道を切り開いてきた上林さん。「美味しいみかんづくり」を通じて、もっと多くの人を喜ばせたいと抱負を語る。これが、上林さんの「本気になれること」だ。取材日は、まもなく立春を迎える頃で、主な作業は枝の剪定。上林さんの「農業2年目」が始まった ―