林憲昭さんと澄蓮さん夫妻は2009年10月に、東京都から和歌山県串本町へ移住しました。地域で古くから親しまれていた劇場を復活させ、いろんな人が交流する場所にしようと模索を続けています。
自然の中の暮らしを満喫
憲昭さんは岐阜県、澄蓮さんは宮城県出身です。憲昭さんは現代美術家で、近年は日光写真(青写真)の技法を使い、布や紙に自然の影と共にドローイングなどを写し込む表現をしています。2008年3月、和歌山県田辺市で開催されたアートイベントに招聘作家として参加し、1か月間滞在制作をしました。その際に仲良くなった友人と後日、再会するために訪れたのが串本町田並でした。数日間過ごした後東京に戻ると、海や山、土や闇夜に触れにくい環境に違和感を覚えたそう。東京近郊でも移住先を探しましたが、田並の友人が家を空けることを知っていたこともあり、串本町への移住を決めました。
住まいは山間の集落にポツンと残る一軒家。生活水は近くの川から汲み、お風呂やご飯は薪でたく生活をしています。憲昭さんは罠の狩猟免許を取得し、猟期には山で獲れたシカやイノシシからハムやベーコン、ソーセージなどを作って保存することで、肉はほぼ自給自足。山菜採りや潮干狩りなども楽しんでいます。澄蓮さんは「移住した当初は子どもと一緒に自然の中で遊ぶことを楽しんでいました」と笑顔で話します。
田並劇場の復活に向けて
JR田並駅前にある古い廃墟で昔映画や芝居を観たことがある、という思い出話を地域の人たちから聞いたお二人は、持ち主を探して許可を得ると、建物の修復に向けて取り組み始めました。地域の保育園や学校が廃園、廃校になっていく中、子供が地域の人と触れ合う場所が少ないことに気付き、駅前の劇場を地域の文化遺産として、人の集える場所にしようと考えたのです。2014年7月から「田並劇場再生プロジェクト」として、中に入っていた荷物の片付けや屋根、外壁、舞台床、中二階などの改修工事をしています。
(映写室だった中二階部分。子どもを中心にくつろぎの場となっています)
改修工事はほとんど、古民家のリフォームや大工工事の経験があるお二人でしています。憲昭さんは電気工事の資格も取りました。「(改修工事は)1年くらいで出来ると思っていたけどなかなか大変で、屋根を直してようやく目途がつきました。業者に頼めばすぐに終わったかもしれないけど、かつての地域の文化拠点がゆっくりと直っていく姿を見守って頂いたことで、周辺の方たちの理解を得られた面もあるのかな」と話します。
インターネット上で寄付を呼び掛ける「クラウドファンディング」を、工事に取り掛かる際と、初めて映画上映イベントを開催する際の2回行いました。遠くに住む地域の出身者や昔ながらの映画館で映画を見たいという人たちから資金が集まり、また取り壊される学校の木造校舎から廃材をもらうことも出来ました。「作業は2人だけど、いろんな人の思いを受けたことが追い風になっています。だからこそ皆さんの場所にしたいと思っています。小さい子も大人も楽しめて、地域の人も旅人も気軽に立ち寄れる、風通しの良い文化と交流の場にしていきたいです」と澄蓮さん。
劇場では2018年夏に初めて映画を上映して以降、月1、2回程度の映画上映や週3回のカフェ、週1回の子供向け造形教室などを開催しています。他にも、お二人がワクワクすることを条件に、音楽や演劇、さまざまなイベントを企画することで、人々の触れ合いが生まれています。
文化的刺激を与える劇場
田並劇場再生プロジェクトを通じて林さん夫妻は取材されることも多く、その中で不便なことはないかと聞かれ、頑張って探そうと考えたけれど見つからなかったそうです。しかし「あったら良いな、と私たち自身が思う場作りを、この田並劇場という箱の中で実験しながら探っています。周囲の自然は豊かだけれど、実際にその中に入って地域を知る体験が今の子供たちは意外と少ないし、生の音楽や美術などに接する機会は都会と比べて多くはないので、さまざまな人の可能性を広げて日々の暮らしもちょっと心豊かになる、楽しい文化拠点になればと思います」とお二人は目を輝かせて語ってくれました。
【編集後記】
子供も大人も文化芸術に触れて、遊び、学び、心を豊かにしたいものだと思います。その機会や場所をつくろうというお二人はとても温かい人で、移住前に感じていたという「新しいことを経験することへのワクワク」が現在も続いているようで、こちらも楽しい気持ちになりました。
田並劇場
・所在地:〒649-3516 和歌山県東牟婁郡串本町田並1547
・電話番号:0735-70-1046
・ホームページ:http://tanami.jp