金 哲弘(キム・チョルホン)さん

大阪府→田辺市本宮町

金哲弘(キム・チョルホン)さんは大阪府出身。中学校の国語の教員として11年働き、2016年4月に田辺市本宮町へ移住した。その後も県内の中学校で働いていたが、ある思いをもって教員を退職。チームビルディングを主な活動とした「山里舎」を設立した。2022年には、ゲストハウス「シタノイエ」もオープン。6歳から17歳まで5人の子供を育てる父親であり、本宮町の友人たちからは「てっちゃん」と呼ばれ親しまれている。

本宮町は「自分が少年に戻れる場所」

「親戚のおじさんの家に来たような気持ちになる宿」をコンセプトにしたゲストハウス「シタノイエ」。木を基調とした温かい雰囲気の内装で、一階にはリビングやキッチンがある。二階に上がると、大きな窓の向こうで熊野川が流れるのが見える。宿主から積極的にはたらきかけることはせず、宿泊客が思い思いの時間を過ごす。何かイベントごとがあるときや、地域を見て回りたいときなどは、一緒に行って案内することもできる。そんなフランクな関わり方で、親戚のおじさんのように思ってもらえればと金さんは言う。今回は、そんなゲストハウス「シタノイエ」でお話しを伺った。

ゲストハウス「シタノイエ」の二階からの景色。熊野川が流れ、夏になると川遊びができる。

大阪府にあるコリアタウンの近くの街で生まれ育った金さん。本宮町に移住するきっかけとなったのは、2011年の東日本大震災だった。

「祖父母が戦争の前後に日本に来て、両親が日本生まれ日本育ち。僕は3世として育ちました。大震災の後、僕は大阪にいたんですけど、妻と子供が友達の紹介で熊野川町にある山学林というお寺で一週間生活させてもらったんです。そうしたら妻が『ここ(熊野)で子育てがしたい』と思ったらしく、その年の冬に『私たち行きます』みたいな感じで、ある日突然いなくなりました(笑)」

奥さんが田舎で暮らすような性格には思えず、すぐに帰って来るだろうと考えた金さんは一人大阪に残った。しかし、家族に会うため本宮町を訪れるたび、その土地の魅力に惹かれていったという。

「大阪ではお金を使えば遊ぶところはなんぼでもあるけれど、こっちには大阪ではできない、自分が夢中になってできること、少年に戻って遊べることがあるんです。川が前にあり、山が裏にあって、空気もうまいし、水もうまいし、なんてすばらしいところなんやろうという気持ちが強くなって。最終的に移住者の先輩に『お前は家族と別々に暮らして何やっとるんだ』って言われて、『そうですよね。僕こっちに来ます!』って言って移住を決めました。」

奥さん手作りのまこもの円座。「くまの手仕事研究所」の屋号で、羊毛や植物を使った敷物や衣類などを製作している。

天職だと思った教員を辞め「山里舎」設立

熊野川町から車で30分ほどの本宮町に移り住んだ金さんは、中学校の国語の教師として7年間勤めた後、退職して「山里舎」を設立した。「山里舎」では、直接的な体験を通してチーム内で個人とチームがともに成長できる土壌づくりのプログラムを提供している。

チームビルディングの基礎となるのは、互いの意見や存在が認められる場作りだ。その上で、自分が安全だと思えるゾーンから緊張感のあるところへ一歩踏み出す。それを繰り返すことで安全ゾーンが広がっていくことを成長と捉え、個人が成長できる環境がチームとしての成長に繋がると考える。

「めっちゃなりたくて教員になったし、天職やと思っています。未来の子供たちのために、世の中を良くしていきたい。そのためには、水が高いところから低いところへ落ちるように、生きにくさという”しわ”も弱いところに寄っていくというか、大人のしわを取らないと子供たちをケアしても止めることはできないと思うんです。『山里舎』の仕事も、大人が遊びの中で自分でしわを伸ばしていけるような場所があったらいいなと思って始めました。大人の人たちにいっぱい遊んでもらいたい。少年少女に戻れる場所を作りたいというのが一番ですね。」

いただいた名刺には、中心を囲むようにして大小さまざまな手が描かれている。金さんが行うチームビルディングのプログラムのなかに登場する、大切なモチーフなのだそうだ。

移住直後から教員として自宅と学校を往復する生活をしていた金さんは、8年目にしてようやく移住者らしい暮らしを実感し始めたという。

「公務員として働いてたので、移住者っていう感じじゃなかったというかね。朝、職場に行って夕方に帰ってきて、週末だけおるみたいな。近所の人たちも『結構長いこと住んでるてっちゃんちゅうのがおるんやけど、会ったことないわ』ってレアキャラみたいになってて。仕事を辞めて2022年4月から本宮町に腰据えておるんで、今年一年目ですみたいな新鮮な出会いがたくさんあって今すごく楽しいんです。」

教師の仕事を辞めて生活が大変なのではないかと尋ねると、「エンゲル係数が高過ぎてびっくりしますよ! 子供も多くて、しかも猫2匹、犬1匹、鶏7羽、羊3頭。口が多いで有名なんです。」と笑わせてくれた。

蘇らせてもらったこの土地で、良い未来に向けてできることを

長年教師をしていたこともあってか、本人が「口から生まれた」というほどお喋りが上手な金さん。加えて、少年のようにキラキラした瞳が印象的だ。金さん曰く「本宮町に来て蘇らせてもらった。」のだと。

「野菜も肉もスーパーに行って買うもんやっていう思い込みがあったけど、こっちに来たら、種を植えたら野菜ができるっていう喜びを感じられるし、近所の猟師さんと会うと獲った鹿とか猪をご馳走してくれる。川に行ったら魚が捕れる。お米も自分で作るようになって。なんかこう、自分の価値観を本宮町でひっくり返されました。

ずっといろんな仮面を被って大人になってきたし、大阪で暮らしてたら教員っていう仮面を被って自分を押し殺して生きてきたかもわからんけど、こっちに来て仮面をどんどん脱いで自分のことを出せるようになりました。熊野は蘇りの地って言われますけど、本当にそうやなって実感してるんです。」

本宮町での暮らしの新鮮さや、人との関わりのなかで受ける刺激から力を得て、自ら仮面を下ろしていった金さん。「山里舎」を通して今後何がしたいかと尋ねると、少し考えた後にこう答えてくれた。

「すごく抽象的なんですけど、たくさんの人の人生を豊かにしたいなと思います。近所のおじちゃんたちがすごく良くしてくれるんです。それが嬉しくて、本宮のために何かできないかと考えるようになりました。自分自身が本宮町に来てすごく豊かな人生を送らせてもらえるようになったので、『子供のときすっごい楽しかったな。大人になっても楽しめるんだ』って思えるような豊かな人生のお手伝いがしたいというか……その横でニヤッてしときたいなていうのがあります(笑)。もちろん子供たちが豊かな人生を過ごすためにもね。その土台を今つくりたいなと思っています。」

終始笑顔で活きいきと話す金さんの姿は、まずは大人が元気であるということをまさに体現しているようだった。本宮町は人口2000人ほどの小さな地域でありながら、比較的移住者が多く、移住者同士の繋がりもある。地域の人たちとの人間関係を楽しみながら田舎暮らしがしたいという人におすすめだ。移住の下見をする際はゲストハウス「シタノイエ」へ。金さんが喜んで”豊かな人生”の協力をしてくれるはず。

 

Instagram:山里舎
HP:シタノイエ