梅酒「鶴梅」シリーズや日本酒「紀土(きっど)」で知られる、海南市の平和酒造。東京で生まれ育った高木加奈子さんは、東京農工大を卒業後、新卒でこの平和酒造に入社した。和歌山に根ざした酒造家として7年目を迎えた今、どんな仕事や暮らしを送っているのだろうか。
東京から和歌山へ、日本酒がつないだ縁
東京農工大に入学した当時の高木さんの夢は、「大学の先生」だった。「研究室にこもって論文を書くのが大学の先生のイメージだったのに、いざ入学すると、先生はトラクターで畑を耕したり、味噌をつくるのに味噌樽からつくったり。そのうち私も、自分の手で何かをゼロからつくる技術を身につけられたら楽しそう、と思うようになりました」。
夕方まで畑仕事をした後、時には研究室でお酒の飲み比べ。この時に日本酒の良さを実感したという高木さん。就職活動をする頃には、夢は「お酒の造り手」に変わっていた。そんな折、なじみの酒屋さんから「『紀土』というお酒をつくっている和歌山の酒蔵が募集をしているよ」と教えてもらう。これが平和酒造との出会いとなった。
つらかった1年目を乗り越えて
縁のない和歌山へ移り住むことに戸惑いはなかったのだろうか。「実は海外での就職も考えていたんです。大学時代にドイツへ何度か短期留学をしたことがあって。思い出すのはビールの美味しさ(笑)。卒業後はいいお酒をつくれるなら働く場所はどこでも構わない、と思っていました」。そして入社。会社から徒歩30秒の社員寮が新たな住まいとなった。
日本酒づくりは、毎年10月頃から5月の連休前までが仕込みのシーズン。冬場は日が昇る前から仕事が始まる。入社1、2年目は雑用をしながら酒づくりを覚える毎日だ。「1年目は『追い回し』という片付けや洗いものをする係でした。もう必死で、お酒を仕込んでいる過程を見る余裕もなかった。そ
のうち体がつらくなり、入社半年後には、大学院に進学したいから辞めたいと専務に相談しました」。
その時に専務から言われた言葉が、「0から1に進むのは誰でも大変。とりあえず2年はやってごらん」。そしてその通り、2年目からは自分の仕事を一歩引いて見られるようになり、この頃から新しい友人も増えていった。
地域に根ざした実感が得られた3年目
酒づくりに欠かせないのが、良質な水。豊富な地下水は酒米(さかまい)づくりにも役立てられる。「工場の裏の田んぼで山田錦という酒米を育てています。地元の人とは農作業を通じて交流が生まれますね。3年目には野菜をいただいたりする関係になりました」。
決して大きくはない酒蔵のため、普段は工場見学を受けつけないが、毎年の田植え体験と稲刈り体験の時は見学することもできる。「そのうち『大収穫祭』などできたらいいねと社員同士で話しています。私たちの会社はチームで酒づくりをしている実感がある。先輩も後輩も尊敬できる人が多いですね」。
「移住」を意識せず、軽やかに
ここ数年、高木さんが製造責任者となって新たに取り組んだのが、クラフトビールの新ブランド立ち上げだ。発酵に1週間、熟成に2週間、最短3週間ほどで出荷できるクラフトビールは、会社にとって新しい力。2016年6月に「平和クラフト」の名前で販売が始まった。「食事が始まる際の、乾杯の時に飲んでほしいので、アルコール度数を少し軽めにしているのが特徴です」と高木さん。県内のクラフトビールのイベントに出展するほか、東京にも営業担当として出張する日々。酒づくりを通じてどんどん人とつながる現状からは、つらかった1年目では考えられないほど充実している様子がうかがえる。
「今年も県外から2人の女性が入社しましたが、彼女たちに『移住』という意識はないでしょうし、私自身もやりたい仕事がここにあり、縁をいただいて住んでいると思っています。和歌山にはすごい事業をしている会社が多いので、その魅力が全国に発信され、自然な形で人が増えていくといいですね」。高木さんたちがつくるお酒が、これから日本中へ、さらに世界へと羽ばたく様子が見えるようだ。