愛知県出身。前職は大阪の民間会社で国交省、日本道路公団、自治体など官公庁への土木建設コンサルタントに携わる。現在、農家として緑花木を栽培。
就農の始まり
愛知県出身の秋山さんは、 20年ぐらい前から大阪の民間会社で土木建設コンサルタントの仕事についていました。仕事は窮屈でもなかったそうで、休みの日はもともと釣りや山歩きなどの自然と接することが多かったそうです。
そして 40代後半から自然に関わる仕事をしたいと思うようになりました。
「高知県や和歌山県の森林組合に話を聞きに行ったんですが、現場の班長が30歳前後の若い人になるので年齢が上だと仕事がしにくいと聞いてね。」
「ああ、こりゃあかんなぁと思って林業の道をあきらめました。」と話す秋山さん。
それでもあきらめず、自然に関わる仕事を探しているうちに紀美野町の緑花木栽培に出会い移住を決意しました。
移住・就農して
奥さんとお子さんは、大阪に置いての単身赴任。農業のことも田舎の生活も知らないままの移住。当時51歳。
移住して最初の1年間は「田舎の生活自体ほとんど知らなかったからね。生産農家をまわって生活のこと、技術的なことをいろいろ聞いて教えてもらいました。」2年目からは、畑を借りて苗木を実際に育てるようになりました。
「今でもその都度、聞いてますよ。こんな時、どうするのか?こんなになったけど、どうしたらいい?とかね。」
まだまだ分からないことはたくさんありますが、周りの方に教わりながらがんばっています。
「もっと休んだらとか言われるけど、ここに来てること自体休んでるみたいなもんだからね。」と笑う秋山さん。
「大変だったことは畑の排水路関係かな。排水経路を確保しないと。でもぜいたく言うてたらきりがない。みんな優しくしてくれるし。野菜など持って行けとか言ってくれるし。こっちもいろいろあげたりね。交流ありますよ。」
これから・メッセージ
「これからも、続けられる限りは緑を生産してあと20年はやりたいね。」
最後に移住・就農を考えている人にメッセージを聞きました。
「やらんと後悔するしやってみたら、なんとかなるし、できると思います。」
「まわりの人は教えてくれる人が多いしね。」
「休憩で座ってるとおばちゃんがよく声をかけてくれます。嬉しいし、何気ない会話の中にもいろいろためになることが多いよ。」と話してくれました。