吉成 誠二(よしなり せいじ)さん

千葉県→紀の川市

和歌山県北部をゆったりと流れる紀の川沿いに広がる街、紀の川市。大阪府に隣接し、日当たりの良い盆地を活かして、桃やはっさく、イチジクなどをはじめとした豊富な果樹や農産物が栽培される、県内屈指の農産物の生産地だ。そんな土地の風景に魅せられ、千葉県から夫婦で移住してきたという吉成誠二さん。つい先日引っ越したばかりという真新しい住居のリビングで、移住の経緯や今後への期待についてお話を聞いた。

家庭菜園まで一時間かかるところから

吉成さんは徳島県鳴門市の出身。現職である富士通への就職と同時に上京し、以後東京や札幌、千葉などの都市部で生活を送ってきた。移住を考え始めたのは50代の頃。子供が独立した後の暮らし方について妻と話し合う中で、移住就農という候補が浮上したという。まずは手始めに家庭菜園からと、市が貸し出している市民農園を借りて野菜栽培を始めた。

「千葉に住んでいる時家庭菜園とか借りてたんですよ。だけど、そこまで行くのが遠くて車で1時間ぐらいかけて行ってたんですね。そこで、5m四方ぐらいのところを借りてやっていたんですが、遠いので水やりに行くのも車で出かけてたから、これはちょっとと思ってました。それからだんだんとどこか田舎の方に行って、広い土地の家に住み換えて、家の横に家庭菜園がある暮らしをと思うようになりました。」

はじめ吉成さんは、関東近辺で移住先を探していた。山登りも好きで、山梨県や長野県なども検討したという。しかし自分たちの親や身内の事も考えるようになり、どうせ移り住むなら実家に近い方が良いと考え関西方面に目を向け始めた。

そのタイミングで吉成さんの背中を押したのが、2021年に和歌山県が勤務先の富士通株式会社と結んだワーケーションや移住に関する包括協定だ。この協定では「遠隔勤務を活用した転職なき移住による地方創生」が対象になっており、和歌山県内であれば特段の事情がなくても遠隔勤務の申請が可能だった。そのことを知った吉成さんは和歌山県の北部に狙いを定め、移住先を探していった。

自宅の一室で遠隔勤務。コロナ禍の影響で千葉でも遠隔勤務をしていたこともあり、働き方自体はほとんど変わっていないという。

移住までの和歌山県への訪問は10回を超えた。愛犬がいたため宿泊施設を借りるのが難しく、何度も車中泊を繰り返しながら街を巡った。紀の川市を選んだ決め手は、何よりもその風景だったと吉成さんは言う。

「最初は、とにかく行ってみようって妻と二人で来て、紀の川沿いに車で走りながら紀の川市辺りで素晴らしい景色を見てとても惹かれました。大きな紀の川の両岸に平野があって、その後ろに山がそびえていて。平野部は水田と果樹園、畑が広がり、そこから山にかけて果樹園が伸びています。事前のリサーチでも農業支援が充実しているとのことで、農業に対する活気を感じました。就農を目指していたので、ここなら何かできるんじゃないかと思って、紀の川市に決めました。」

自分たちらしい農業への付き合い方

就農への想いから移住を考え始めたこともあり、はじめは移住を就農とセットで考えていた。東京近辺で開催される就農セミナーにも顔を出したり、有楽町に拠点を置くふるさと回帰支援センターにお世話になりながら、検討を進めたという。また移住先を紀の川市に定めてからは、紀の川市のワンストップパーソン(移住に関するあらゆる相談を一手に引き受ける担当職員)に、移住就農についての相談を始めた。

「まずは賃貸を借りて移住し、現地で就農事情について話を聞きました。また、紹介していただいた農業塾に通い始めました。そんな中で、還暦が近いこともあって無理をせずに、出来れば空いている農地をお借りして自分たちで畑をしながら地域貢献できればと考えるようになりました。そして自分たちが出来る範囲で果物や野菜を作り、ゆくゆくは独立した子供たちにも送ってあげられたらと思うようになりました。」

自宅の近くには、西国第3番札所の粉河寺があり、春には桜が見事だ。

居住先の家を決める際に重視したのは、利便性も考えながら平屋で敷地内に家庭菜園ができること。じっくりと腰を据えて家を決めるために、まずは紀の川市の借家で暮らしながら条件に合う家を探した。現在の家は、その条件に合うということで地元の不動産会社から紹介されたもの。真新しい家屋の横に、開拓を待つ家庭菜園予定地が広がる。

「僕はね、東京、札幌、千葉と、仕事の関係もあって転々と住み替えたので、新しい街に住むことに心配はしませんでした。日本国内だし何とかなるだろうって。でも、妻は車の運転ができないし、いろいろ気を遣う事もあると思いましたから、そこはね、妻の意見を重視しました。僕は山の中のぽつんと一軒家みたいなところでもいいと思ってたんですけど、もっと歳をとって、車が乗れなくなったときのことを考えると、生活に必要な環境が整っているところが良いなと思うようになって、いい感じの田舎感と便利さを兼ね備えていると感じた現在の場所に落ち着きました。」

道の暗さに驚いた新生活

これまで何度か引っ越しを経験してきた吉成さんにとって、住み替えのハードルはそこまで高くない。しかし、今回が最後になるだろうと思っていたため、地域の人たちに受け入れてもらえるのか、不安はあったという。

その不安は、すこしずつ取り除かれている。移住してからは、ワンストップパーソンの方に紹介頂いた移住者交流会に顔を出しながら、少しずつ地域の知り合いが増え、同様に紹介してもらった農業塾での出会いにも助けられた。また、新居に引っ越してからは町内会にも呼んでもらえた。そして、思いがけず近所の人たちとの交流のきっかけになったのが、すでに20歳近い、愛犬のペペだ。ペペと散歩をしていると、出会う方がよく声をかけてくれるのだという。

転職なき移住ということもあり、移住後の生活に大きな変化はない。「移住というよりは引っ越し」に近いというのが吉成さんの実感だ。一方、引っ越してから変わったこともある。一番大きなインパクトがあったのは、「夜の暗さ」だったという。

「最初借家に住んでいた頃ですが、夜、外に一歩出るでしょ。家の周りこそまだなんとか灯りがありますよ。でも少し歩いたらもう真っ暗ですもんね。ちょうど移住して来たのが10月ぐらいで、そこから12月の冬至に向けて日がどんどん短くなるでしょう。そしたら17時とかに家を出ても、慣れていない道だということもあってか、溝に足落とすんじゃないかぐらいに思いました。なので昼間のうちにちゃんと買い物して夜はあまり出歩かなくなりました。とても星が綺麗なんですけど、季節柄寒さも合わさって、星空を楽しむ余裕は有りませんでした。」

 

「ポンと飛び込んでみてもいいんじゃないかと思います」

会社が整備した移住・遠隔勤務の制度を用いた「転職なき移住」。会社や仕事内容の違いはあるものの、吉成さんが出会った紀の川市の移住者の中にも、同様に遠隔勤務で移住している人もいるという。今後もっと増えるかもしれないそのような移住者に向け、先達者としてのアドバイスを聞いた。

真っ先に吉成さんがあげたのが、遠隔勤務の生命線とも言えるインターネット環境だ。

「インターネットはどこの何が引けるのかっていうのを、まずチェックされた方がいいかなとは思います。その地域毎に様々なサービスを展開する事業者がいるので、あまり安易に決めないで、現地の人に聞いたりいろいろ調べて最適なサービスを選択する事をお勧めします」

また地域によるが、都市銀行を使っている場合には、直営のATMが近くに無いので、手数料やアクセスを考えて金融機関を見直す必要がある。吉成さんは郵便局を使うことにしたが、普段使っている金融機関ではないので、インターネットバンキングの使い方を調べたり、アクセス環境を整えたりと大変だった。また、クレジットや公共料金の引落などの変更が大変で、未だに終わっていない。ただ、ちゃんと手続きすれば良いのだが、普段使っていた金融機関が変わると結構大変だという。

一方、転職なき移住なら、あまり考えすぎずにひとまず行ってみると良いというのが吉成さんの考えだ。

「そういう制度があるのであれば、下見は必ずしたほうがよいですが、あとはあまり考え過ぎずに思い切って移住することもひとつだと思います。まあ、地域貢献が前提のものだし、僕らもね、いろいろ教えてもらって、できるだけのことはやっていこうと思ってます。その気持ちがあれば、あまりこだわらずにポンと飛び込んでみてもいいんじゃないかなと思いますね。」