大阪府出身。和歌山市へ移住後はライターとしてフリーで活動するが、コロナウイルスの流行を契機に、2020年にコワーキングスペース「cotowa」をOPENし、地域のクリエイティブディレクター的な役割としてさまざまな企画やプロジェクトに関わっている。
「和歌山にきて一番初めに思ったことは、空がめちゃめちゃ広いということ」。
大阪府出身で、実家は経営者家系。旭さん自身も20歳の頃から大阪で飲食店を経営した経験もあるらしい。その後は、横浜でホームレスになったり、東京へ出て外資系マーケティング会社で優秀な成績を残したりと、移住までのストーリーで本が一冊かけそうな人だ。しかし、まだまだ旭さんの物語は終わらない。
2017年、移住前の前職、ビルの清掃の勤務中に、ビルの4階から落ちるという大きな事故で20箇所の骨折。手術を経て、旭さんはなんと、車椅子のまま和歌山へ移住した。
移住のきっかけとなったのは、妻のまゆりさん。まゆりさんは和歌山市のご出身で、121E(じゅうにひとえ)という木綿のブランドを営んでいる。事故以前から、まゆりさんとの結婚を前提に和歌山への移住を検討していた旭さんは、東京のわかやま定住サポートセンターにも足を運び、移住推進地域の紀美野町や海南市下津町大崎にも下見にきたことがあった。
「東京はもうしんどいな、というのがあった。一つの狭い部屋にいるような感じ。和歌山に来て一番初めに思ったことは、空がめちゃめちゃ広いということ。東京にいると切り取られた空しか見ない。」
東京での生活を経験し、旭さん本人も和歌山での暮らしに意欲的なようだった。まさか車椅子で移住することになるとは思わなかっただろうが、旭さんの移住生活はリハビリからスタートすることになる。
リハビリ後は近所のゲストハウスの屋上でワンシーズン、BARをやってみたり、みかんの援農なども経験した。元々農業にも興味があり、より田舎らしい暮らしがしたかった旭さんは、和歌山市に移住後に、海南市下津に移ることになる。晴見台という別荘地の空き家を借り、1年間ほど滞在した後に、「cotowa」を始めるため、再び和歌山市に戻ることになる。
コロナウイルスと和歌山暮らし
「コロナをきっかけに、コミュ二ティ欲というか、社会欲みたいなものが高まってきた。これからは拠点とか居場所とか、どんどんリモートワーク化していくその先に、コミュニティみたいなものが必要になってくるだろうと思って」。
2020年にOPENした「cotowa」は「個」と「和」をテーマに、フリーランスやノマドワーカー向けのコワーキングスペースやコミュニティ運営をする施設だ。コロナウイルスを契機に、「コミュニティ欲」の高まりを意識する旭さんは、その空間や使われ方、開催するイベントなどの随所に、コミュニティの繋がりをもたらす仕掛けを施している。
「かなり物件は見て回りましたね。ここは多分日本初の公園内のコワーキングスペースなんですよ。紀州まちづくり舎さんが公園を管理していて、代表の吉川さんとお会いした際に“循環”ということを仰っていて、自分としてもその言葉は大切なキーワードだったので、一度見学に伺って、決めました」。
建物は築約30年、ずっと放置されていたところを自分たちでDIYするところからはじめた。cotowaの空間は外装や内装のかっこよさやおしゃれさだけではない。旭さんが考える、これからの和歌山に必要なものがそこに込められている。
「和歌山の城下町的な特徴なのかもしれないんですけど、どこか無機的な印象を受けたんですよね。人がもっとなんでも話せるような有機的なコミュニティみたいなものを作りたいと思ってます」。
「村」みたいなものを作りたい。
旭さんにとって、cotowaは必ずしもコワーキングスペースである必要はない。シェアリングエコノミーなんて言葉も今ではすっかり馴染みになってきたが、旭さんの目指す形もそれに近い。場所を「貸す」「借りる」だけの関係性ではなく、共同体のなかで共有し合うような、有機的な関係性を築いていくことが狙いだ。
最近は事業の立ち上げの支援なども多い。起業塾に参加したことがきっかけで、これから事業を始めようという知り合いも増えた。例えばオーガニックのスイーツをECサイトで販売したいとか、吊り網機を使ってアパレル事業を始めようとしている方だとか。そうした地域課題に取り組むような起業のアイデアもcotowaに集まってくる。
「僕が起業支援するというよりは、場を共有しながら、一緒にあーだ、こーだ言い合って、お互いにできるところをカバーしあっているような関係で使ってもらったりとか。そこからWEBサイトの制作を受けたりとか、そんな感じでやってます」。
フリーランスだったり、リモートワークをするような人は和歌山にはまだまだ少ない。コワーキングスペースという業態が、今の地域に需要として高く求められているわけではないかもしれないが、旭さんの表現したいコミュニティ像はこれからの地域にとって何か重要な視点を与えてくれそうな予感だ。
「オープンで有機的な、村みたいなものをつくりたい」。
そう語ってくれた旭さんの周りには、それぞれの「個」がもつさまざまな価値が集まり、共有されあい、循環していっている様子がお話からもうかがえた。
休みという休みはほとんどなく、仕事と休みの境界もほとんどなくなってきているという。趣味もあまりないが、最近は紀南の方にバイクを走らせることもある。
和歌山市は地方都市ではあるが、特に生活に不便なことはない。無機的と感じる点はこれからの旭さんの事業展開やコミュニティの涵養にも期待だ。
「和歌山には日本一のものだったり、知られてないけどいい素材のものがすごく多い。アイデア次第では起業のチャンスもすごく沢山あると思う」という。これからの移住者、特に起業や何かビジネスを始めたい人にとっても、そういった地域は魅力的だろうし、何より、cotowaのような場所や旭さんのような人がいることはそれらをより後押ししてくれることだろう。
「和歌山は本当に環境がいい。人間らしく生活もできるし、一回来てみて、なんとなく心地が合えば住んでみるのがいいと思う。これからももっと移住は増えると思うし、僕もそれを楽しみにしています」。
最後にこう語ってくれた旭さん。和歌山に新たな風がふき、みんなが緩やかにつながり合い、助け合っている、村みたいなものができていくことが楽しみでならない。