東京都出身。東京農業大学を卒業後、「酒造りの神様」の異名を持つ石川県能登半島の農口尚彦さんのもとに弟子入りし、蔵人として修行を積む。10年後、30代前半で酒蔵の責任者ともいえる杜氏として岩出市の吉村秀雄商店に入職。既存の商品の見直しから、山廃仕込みや生酛造りの新商品の開発を手がけるほか、無農薬自家栽培のお米を使ったお酒づくりにも取り組んでいる。
杜氏として大きな責任を感じています
藤田さんがお酒造りの世界に入ったきっかけは、微生物の面白さを知ったことだった。お酒の味だけでなく歴史や酒造りの技術面での面白さに魅力を感じたこと、また、もともとお酒好きだったこともあり酒造りの道に入った。能登半島で蔵人として10年間の修行を重ねたころ、師匠である農口さんから和歌山県で杜氏を探している酒蔵があるとの話を受け、移住を決めた。当時の心境を藤田さんはこう振り返る。
「新しい土地に住むことの不安よりも、杜氏として仕事をやっていけるかということしか考えてなかったですね。杜氏は社員ではあるんですけど、社長と両輪になって蔵を盛り上げていくというか、この蔵のお酒のすべての責任は私にあるという感覚なんです」。
酒造りは、気候やお米の状態によって毎年変化する。石川県と和歌山県では、湿度など気候が大きく異なる。吉村秀雄商店がある岩出市は、能登に比べると乾燥しているため難しい点も多い。それでも、藤田さんは自身が采配できることに面白さを感じ、何よりお客様が喜んでくれることにやりがいを感じているという。
旧街道を自転車で走り、その土地を知る
東京都で生まれ育ち、石川、和歌山と移り住んできた藤田さんに、各地域での暮らしの違いや特徴について伺った。人の多いところがあまり得意ではないと話す藤田さんは、高校時代から「住むなら自然のあるところがいい」と思っていたという。10年間暮らした石川県では、自然豊かな土地で、気心の知れた友人たちと海の幸や山の幸を堪能した。今でも住みたい場所だと話す。そこからの単身での和歌山への移住だった。
「和歌山県は最初の2、3年は好きじゃないなって思っていました。でも住んでいるうちに友達ができたり、仕事を通じたコミュニティができて面白くなってきました。今は良いところだと思っています。縁があってそこにいるわけですしね。ふと良い場所を見つけたりとか、そういう棚から牡丹餅みたいなこともあるんじゃないかなという気がします」。
移住した当初は好きではなかったという和歌山での暮らし。変化のきっかけは、自転車で旧街道を走り始めたことだった。和歌山だけでなく奈良や京都、大阪まで足をのばす。土地の歴史を感じつつ、景観を楽しみ路地を走り抜ける。知らない土地で杜氏という責任を背負いながら、藤田さんは自ら地域の楽しみ方を開拓し、面白いと思える暮らしを築いていった。
田舎暮らしに固執せず「どっちもあり」だと思う方がいい
自ら進んで選んだ石川県への移住。師匠からの勧めを受けて決めた和歌山県への移住。その二度の移住経験から、藤田さんは、住む場所を決めるのは“おみくじ”みたいなところがあると話す。
「その場所が好きだからって住めるわけじゃないでしょう?都会に比べて田舎は仕事も少ないし。当たれば住めるし、当たらなかったらちょい待ちって感じ?住む場所にあんまり固執しない方がいいと思います。都会暮らしもありだし、田舎暮らしもありくらいに考えたらいいんじゃないですかね」。
また、何かしらのネガティブな状況を変える選択肢として、移住を考えている方もいるかもしれない。藤田さんは、暮らしを変えるだけではなく自分自身が前向きに切り替えられるかどうかが大切だという。
「一回移住のイベントに参加したときに、ドロップアウトしてる人が多いなと思ったんです。それで、都会から離れればどうにかなるって思ってたら大間違いだと思ったんですよね。仕事や人間関係が上手くいかなくて離れるじゃないですか。でも知らないところに住んだら余計に人の手を借りないと生きていけないですから、移住が上手くいかないのはそういうこともあるんじゃないかと思います。子どもを育てるのに環境を変えたいと思うのはいいことだし、会社が嫌で辞めたいっていうのも全然OK。逃げるのはOK。嫌なことに立ち向かう必要もない。前向きでも後ろ向きでも、きっかけはなんでもいいと思うんですけど、そこから自分は何をするのか。上手く切り替えられないと道は開けてこないという気がします」。
知り合いのいない土地に移り、3年程してようやく和歌山の暮らしにも良さを感じるようになった藤田さん。実感のこもった一言ひとことが心に響く。住む場所を変えることが、自分の変化を後押ししてくれる誰かや何かとの出会いのきっかけにもなり得る。藤田さんの言うように、“おみくじ”を引くようなつもりで、あまり考え過ぎずに移住してみるのも良いのではないだろうか。