梶田 友也(かじた ともや)さん

大阪府→日高川町

兵庫県加古川市出身。職場がある大阪で理学療法士として勤務する中、昔から憧れていた田舎暮らしへの思いが募る。実家へのアクセスを第一に移住先の検討を重ね、2017年12月、日高川町にパートナーと共に移住し結婚。夫婦で田舎暮らしを楽しんでいる。

緑を求めて移住を決断

過去、一時期暮らしていた長野県の山々の美しさに感動し、自然が好きになったという梶田さん。緑に包まれた田舎での暮らしにずっと興味を持っていました。移住前は、理学療法士として大阪で勤務。都会の雑踏にもまれ、満員電車に揺られて通勤する毎日にストレスを感じていました。

「当時彼女だった妻との結婚を機に、知らない土地で暮らしてみようと2人で話し合って決めました。それに人との触れ合い、ご近所さんとのつき合いにも憧れていた。そんな生活は都会ではできません」と話す梶田さん。

最も重要視していた移住の条件は、2人の実家がある兵庫県まで気軽に帰省できる地域。岡山や奈良、四国各県を検討する中、奥さまの明希(あき)さんが日高川町の空き家バンクから手頃な物件を見つけたのがきっかけで、日高川町への関心が高まりました。

環境と利便性を好み、日高川町へ

2017年夏、現地を訪れて空き家物件を見学したことを皮切りに、日高川町のワンストップパーソンに相談するなど、地元の情報を集めました。

「今、住んでいる家に決めたのは、静かな住環境で、生活や仕事の問題が解決しそうな場所だったから。それに大家さんが優しかったのも大きいです」と梶田さんは振り返ります。2017年12月には2人で日高川町に移住、2日後に入籍しました。

「妻の両親に結婚の申し出と和歌山への移住を伝えるのが同じタイミング。『なんで和歌山行くん?』と言われました」と梶田さんは苦笑します。

現在、梶田さんはみなべ町で理学療法士として勤め、明希さんも地元の病院で勤務。職場には車で通勤し、買い物にも気軽に行ける地域。暮らしに不便さは感じていません。

「今では職場のあるみなべ町のことも詳しくなりました。異なる文化を知ることの面白さを実感しました」と梶田さんは語ります。

高台にある自宅からは御坊市へのアクセスが良好

田舎暮らしは人間関係が大切

人見知りがなくて、誰とでも気軽に話せるという梶田さん。年に2、3度、集落の寄り合いやイベントに参加。明希さんも、地元の奥さまたちとのマダム会に参加することもあります。またご近所から野菜をいただくこともあるなど、地域や近所の方々とは良好な関係を築いています。

「人間関係が大切なのは、都会でも田舎でも同じ。壁を作らずに、地域の人たちとおつきあいをするのが移住する上で大切です。自分たちもご近所さんにはいつも気遣っていただいています」と梶田さんは話します。

2人で一から人生を切り開く!

休日になると、共通の趣味である野球の練習を一緒にすることが楽しみというお二人。

地に足をつけて自分のペースで田舎暮らしを楽しんでいます。最後にこれからの目標は?

「できれば定年くらいまで日高川町で暮らしたいです。地元で生活すると親に依存しますし、それは嫌でした。だから知らない土地で、2人の力で人生を切り開く挑戦をしたかった。夫婦で結束して頑張らなあかんと思いました。後々に『この生活が良い経験だったな』と言える時がきっと来ると思っています」と笑顔で話されているのがとても印象的でした。

ソフトボールの経験がある明希さんと河川敷で練習

自宅の修繕や車のメンテナンスは楽しみながら自分で作業